日米貿易戦争と税制改革
第1部では、日米貿易戦争がどのような経緯で起こり、日本経済へどのような影響を与えたのかを振り返りました。
日本は輸出大国として世界市場で大きな成功を収める一方、その成功が米国との深刻な貿易摩擦を招き、円高や海外生産の拡大など、日本経済は大きな転換点を迎えることになります。
しかし、その時代、日本ではもう一つ、将来の日本を見据えた重要な議論が進められていました。
それが税制改革です。
1974年(昭和49年)、政府税制調査会は、それまで所得税や法人税を中心としていた税体系を見直す議論を始めていました。
その後、一般消費税構想、売上税構想を経て、1989年(平成元年)に消費税が導入されます。
約15年にも及ぶ議論でした。
ここで私が注目したいのは、「消費税」という制度そのものではありません。
先人たちは、なぜ新しい税制を必要と考えたのかということです。
当時議論されていたのは、所得税や法人税に過度に依存した税体系では、将来の日本社会を安定して支え続けることは難しいという問題意識でした。
だからこそ、新しい時代にふさわしい税体系を模索したのです。
私は、先人たちが本当に議論していたのは、単なる「消費税」だけではなかったと考えています。
未来の日本社会を、どのような仕組みで支えていくのか。
そのための手段として、消費税という税制が選ばれたのだと考えています。
皮肉にも二つの歴史は、同時に進行していた
興味深いことに、この税制改革が議論されていた時代、日本は日米貿易戦争という歴史的な転換点にも直面していました。
- 日米貿易摩擦。
- プラザ合意。
- 急激な円高。
- 海外生産の拡大。
これらは、日本の産業構造を根本から変えていきます。
国内工場は海外へ移転し、日本国内で行われていた設備投資も徐々に海外へ向かうようになりました。
これは単に工場が海外へ移ったという話ではありません。
- 工場が建設されれば、多くの雇用が生まれます。
- 関連企業も集まります。
- 物流も動きます。
- 地域経済も活性化します。
- 設備投資とは、それだけ大きな経済波及効果を持つものです。
その舞台が日本国内から海外へ移っていったことは、日本社会全体へ長期的な影響を与えたと私は考えています。
一方で、税制改革も進んでいました。
偶然ではありますが、日本は産業構造の変化と、それを支える税制改革をほぼ同時並行で進めていたのです。
結果として、消費税は、その後の日本社会を支える税制として一定の役割を果たしてきたと言えるでしょう。
しかし、ここで終わる話ではありませんでした。
それから約40年が経過した今、日本は当時には十分想定されていなかった新たな課題に直面しています。
- 円安。
- 物価上昇。
- 実質賃金の伸び悩み。
- 少子高齢化。
- そして、出生率の歴史的な低下です。
これらは、1974年(昭和49年)から始まった税制改革が目指していた時代とは、異なる課題と言えるでしょう。
では、こうした新しい時代を前に、私たちは何を議論しているのでしょうか。
私たちは、本当に議論すべきことを議論しているのか
現在、消費税を巡っては、減税か、維持か、あるいは増税かという議論が繰り返されています。
しかし私は、その議論を見ながら、一つの疑問を抱いています。
私たちは、本当に議論すべきことを議論しているのかと。
約半世紀前、先人たちが議論していたのは、「一般消費税にするのか」「売上税にするのか」という名称の違いではありませんでした。
また、税率の議論でもなかったと思います。
彼らが本当に考えていたのは、「未来の日本社会を支えるには、どのような税制が必要なのか。」
ということだったのだと考えています。
つまり、税制は目的ではありません。未来の日本社会を支えるための手段でしかなかったはずです。
だからこそ、所得税と法人税に依存していた当時の税体系に問題意識を持ち、新しい税体系の創造へ挑戦したのだと考えています。
それでは、今を生きる私たちはどうでしょうか。
- AIが社会を変えようとしています。
- 人口減少は加速しています。
- 出生率は歴史的な低水準となりました。
- 約半世紀前とは、社会そのものが大きく変わっています。
それにもかかわらず…
私たちは、「消費税をどうするか」という議論に終始してはいないでしょうか。
本来問うべきなのは、「今の日本社会にとって、どのような税制が最もふさわしいのか。」
ではないかと思うのです。
私は、そこに大きな違和感を覚えています。
約半世紀前、先人たちは未来の日本を見据え、新しい税制の創造に挑みました。
それならば、今日に生きる私たちも、未来の日本社会を見据え、新たな税制や社会システムを創造すべき時代に差し掛かっているのではないだろうかと思うのです。
しかし現実には、約半世紀前に生み出された“「消費税」という「手段」”を前提に、その税率を上げるのか、下げるのかという「手法」に終始しているようにしか思えません。
やっていることが実に小さい。
それだけでは、約半世紀前の先人たちが示したような「未来を見据えた制度設計」の議論のレベルには至っていないのではないかと思います。
本来、私たちが問うべきことは、「未来の日本社会には、どのような仕組みが必要なのか」ということだと思います。
そして、その社会を支えるためには、どのような税制が最もふさわしいのか。
その順番で議論を進めることこそ、先人たちが税制改革に取り組んだ姿勢を受け継ぐことになるのではないかと考えます。
私たちは、どのような社会を目指すべきなのか
ここまで見てきたように、約半世紀前の先人たちは、未来の日本社会を支える新しい税制を創造ししてきました。
それならば、今を生きる私たちにも問われていることがあると思います。
私たちは、これからどのような日本社会を目指すべきなのでしょうか。
私は、その答えの一つとして、出生率のV字回復を実現できる社会を目指すべきだと考えています。
人口減少や少子高齢化は、日本社会全体に大きな影響を及ぼす課題です。
その中でも出生率の低下は、日本国家・民族の存亡に関わる問題だと言えるでしょう。
だからこそ、未来の社会システムを考えるのであれば、
安心して家庭を築き、安心して子どもを育て、将来の人生設計を描ける社会を目指すべきでだと考えます。
その参考となる考え方の一つが、終身雇用制度です。
私は、昭和の終身雇用制度をそのまま復活させるべきだと言いたいのではありません。
しかし、その制度が果たしていた社会的な役割まで否定してしまう必要はないと考えています。
企業は従業員へ長期的な雇用の安心を提供し、人々は住宅を購入し、家庭を築き、子どもを育てる人生設計を描くことができました。
終身雇用制度は、単なる雇用制度ではなかったと思います。
安心して未来を描ける社会システムの一つでもあったのです。
だからこそ私は、その本質をもう一度冷静に分析し、AI時代の新しい社会システムへどう生かしていくのかを議論すべきだと考えています。
日本型経営が果たしていた役割
日米貿易戦争以降、日本企業は大きな変革を迫られました。
国際競争力を維持するため、海外生産の拡大や経営改革が進められ、日本型経営も大きく姿を変えていきます。
- 終身雇用
- 年功序列
- 住宅手当
- 家族手当
- 社宅制度
- 企業年金
これらは、それぞれ別々の制度ではありませんでした。
「日本型経営」という一つの社会システムを構成する要素だったのです。
もちろん、この仕組みには課題もあったと思います。
しかし一方で、企業は従業員へ長期的な雇用の安心を提供し、その安心の上で、人々は住宅を購入し、家庭を築き、子どもを育て、人生設計を描くことができました。
企業は単に給与を支払うだけではありませんでした。
人生設計そのものを支える役割も担っていたのです。
その後、日本型経営は「時代遅れ」として見直され、多くの制度が姿を消していきました。
では、その結果として私たちは何を得て、何を失ったのでしょうか。
私は、この問いを改めて考える必要があると思います。
終身雇用制度をそのまま復活させるべきだと言いたいのではありません。
住宅手当を元に戻すべきだと言いたいのでもありません。
しかし、日本型経営が果たしていた“「安心して人生設計を描ける社会的機能」”まで失ってしまったのだとすれば、その代わりとなる新しい社会システムを私たちは本当に創ることができているのかについて考えてみる価値は有るのだと思います。
私の両親の世代には、自宅に風呂がない家庭も珍しくありませんでした。
町には銭湯があり、多くの人が仕事帰りに利用していた時代です。
そうした中、工場勤務の従業員のために、工場の敷地内へ浴場を設けている企業も少なくありませんでした。
汗を流して帰宅してもらう。
従業員とその家族の生活を支える。
今では想像しにくいかもしれませんが、それも日本型経営の一つの姿でした。
私は、現代でも同じことをすべきだと言いたいのではありません。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。
なぜ企業は、そこまでしていたのだろうかと。
利益だけを追求するのであれば、工場の中に浴場を造る必要はありません。
住宅手当も、家族手当も、社宅制度も必要ありません。
それでも当時の企業は、従業員が安心して働き、安心して家庭を築き、安心して人生設計を描ける環境を整えようとしていました。
そこには、「企業は利益を生み出す場であると同時に、人を育て、人の生活を支える存在でもある」という日本型経営の考え方があったのではないでしょうか。
私は、その制度をそのまま復活させるべきだと言いたいのではありません。
問い直したいのは、その制度ではなく、その思想です。
企業は、なぜそこまで従業員の生活を支えようとしたのか。
そうした過去の忘れ去られつつある思想の中には、これからの日本の社会づくりに生かせるものもあるのではないかと思います。
私は、「企業に福祉を押し付ける」のではなく、“「企業が社会福祉へ参加するインセンティブを税制で設計する」”という発想があってもよいと考えています。
そうした社会貢献に積極的な企業を税制によって後押しすることができれば、社会福祉のすべてを国の財源だけで支えるのではなく、企業も社会づくりの担い手となる新しい仕組みを構築できるかもしれません。
それは、約半世紀前の先人たちが未来を見据えて新しい税制を創造したように、私たちの世代が未来へ残す新しい社会システムの一つになる可能性があると私は考えています。
最後に
最後に、どうしても一つだけ述べておきたいことがあります。
現在、日本では消費税の減税や廃止を巡る議論が活発に行われています。
しかし私は、その議論の多くに物足りなさを感じています。
なぜなら、議論の中心が「消費税の是非」とういう手段についてであったり、「消費税を上げるのか下げるのか」という手法に終始しているからです。
約半世紀前、先人たちが議論していたのは、そんなことではなかったと思います。
彼らは、日本の未来を見据え、どのような社会を築くべきなのかを考え、その実現のための手段として新しい税制を模索していたはずです。
それに比べると、今日の議論はあまりにも視野が狭く、目先の制度論に終始しているように私の目には映ります。
私は、消費税の減税に反対したいのではありません。
増税を支持したいのでもありません。
そうではなく、「未来の日本をどのような社会にしたいのか」
その議論こそが先にあるべきだと考えています。
新しい時代には、新しい税制が必要になるのだと思います。
そして、それを恐れず創造していけばよいのだと思います。
約半世紀前の先人たちがそうしたように。
私たちの世代もまた、未来の子や孫たちのために、新しい社会システムと、その社会を支える新しい税制を考え始める時期に来ているのではないかと考えます。



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